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安全地带的个人档案

歌手:安全地带

安全地带简介

レッド・ツェッペリンやジャクソン・ブラウンに憧れていたことからわかるように、結成から『ワインレッドの心』のリリースまでは当時の洋楽を強く意識しており、歌詞の一人称も「俺」が頻繁に使われている(一部の楽曲では「僕」も使う)。
『ワインレッドの心』のヒットでメディアへの露出が一気に増えた結果、作風も徐々に変化していった。井上陽水から松井五郎へと作詞担当がバトンタッチした形になり、妖艶かつ繊細な歌詞でファン層を大幅に拡大した。しかし、玉置を始めメンバーが当初目指していたバンドスタイルとは異なる形での人気高騰に、激しいジレンマを抱えながらの活動が続くことになる。
1986年の『プルシアンブルーの肖像』、『安全地帯V』では、童謡を歌うなど、新たなジャンルの楽曲に挑戦し、新境地を切り開く。
1988年のアルバム『安全地帯VI〜月に濡れたふたり』、シングル『微笑みに乾杯』は、男女の恋愛をテーマにしてきた安全地帯の作風に区切りをつける作品となり、2年間の充電期間に入ることとなる。この期間の玉置は俳優業をやりながら、模索をしていた時期とされている。
1990年の活動再開で、安全地帯は大きな作風の転換を迎える。玉置自身も作詞に携わるようになり、故郷の北海道やともに過ごした人々をテーマにした楽曲が数多く作られるようになった。ルックス面では、バブル期にみられたような派手な服装や化粧をしなくなった。この変化に女性を中心とした従来からのファンはとまどいを隠せなかったが、それは本来の安全地帯への回帰でもある。
1993年以降の玉置のソロ活動で、その路線はより強くなっていく。一方で笑いやいい加減さなど、自由な作風が目立つようになる。
2002年の安全地帯再始動後はスローペースな楽曲が多くなり、ラブソングというよりも人生そのものを大きく捉えたメッセージソングが作られるようになる。『安全地帯X〜雨のち晴れ〜』の作詞には新しく黒須チヒロを起用し、それまでとは異なったタイプの作品で新しいファンを獲得するとともに、古くからのファンにも新たな一面を見せた。
ソロ・バンド問わずほとんどどの楽曲は玉置自身の作曲によるものである。しかし安全地帯の作風と玉置浩二の作風は、編曲の段階におけるシンセサイザー・打ち込み・空間系エフェクターの採用の有無といった点において大きく異なる。安全地帯が80年代当時最新鋭であったギターシンセの採用や、打ち込みといったデジタルな加工を積極的に取り入れていたのに対して、玉置浩二のソロ作品においては打ち込み等を極力排しており、ボーカルにエコー等をかけることも避ける傾向にある。これは、玉置浩二自身の意向のほか、武沢豊や川島裕二といったデジタルな加工に長けた人物の参加の有無によるところが大きい。
最近は、両者とも作風に違いが見られなくなったという指摘もあるが、家族のような重みのある安全地帯に対し、自由で軽い乗りの玉置浩二という方向性の違いは認められる。