1987年発表の「In The Precious Age」からスタジオを海外へ移し著名なプロデューサー、ミュージシャンを起用しアルバムを製作するようになる。この頃から初期にみられたハードロック色の強い曲調からポップさも取り入れた幅広い音楽性を表現し、ファン層をさらに広げる。1988年にはソウルオリンピックのNHKのテレビ・ラジオ中継のイメージソングとして「Heart and Soul」が採用された。翌1989年の『Return to Myself 〜しない、しない、ナツ。』がオリコン初登場5位。その後、プリンセス・プリンセスの「Diamonds」や工藤静香の「嵐の素顔」などと熾烈な1位争いの末、登場6週目にして1位を獲得した。同タイトルのアルバムも1位を記録。また同年に行われた日本武道館での単独コンサートも成功させた。
1990年代に入るとアジア、ヨーロッパなど海外でもCDデビューを果たした。1993年にはチャリティーグループ「USED TO BE A CHILD」に参加。1996年にはアルバム「Persona」を発表するが、以降ライブ活動はしばらく休止する。2002年、赤坂Blitzにて9年ぶりとなるコンサートを行った。以降はほぼ隔年ペースでオリジナルアルバムを発表、年1回のペースでライブツアーを行うなど、精力的に活動している。