初期には、60年代、70年代の日本の歌謡曲の技法の中から「かっこいい要素」を抽出して作られた楽曲(及びボーカル横山の唱法)が多かった。また、楽曲が昭和風ではなくても、歌詞の内容で、昭和の文化をリスペクトしているものが多く、とくに『かっこいいブーガルー』中の「昭和にワープだ!」という歌詞は、大きなインパクトを与えた。また「昭和レジデンス」の歌詞中では、「昭和昭和昭和昭和昭和」と昭和を連呼している。
また、リーダーの横山剣が、「自分たちのバンドは、平成のビート歌謡バンドとでもいいますか・・」と発言したり、「ヨコワケハンサム」を称える歌詞や発言を繰り返し、イベント名にまで採用。その他にも横山は、「現在は昭和○○年、昭和は続いている」と言ったり、コラムやインタビュー等で昭和時代の文化を称える発言を繰り返した。
そのため、音楽的にも交流があった渚ようこ、大西ユカリらとともに「昭和歌謡ブーム」の一員として広く認知された。だが、雑誌「SWITCH」の2003年8月号の特集「昭和歌謡と呼ばないで」に収録された、横山へのインタビューにおいて、横山は「クレイジーケンバンドのサウンドは、もっと広いものである」と、「昭和歌謡」と決め付けられることへの嫌悪感を表明。実際、その後の活動においては、楽曲に「昭和的な要素」は(おそらく意図的に)薄くなってきている。
近年の横山は、「かつては、サービス精神もあって『昭和、昭和』と言っていたが、それが誤解を呼んだ。そういう(「昭和歌謡」のような)音楽が好きな人たちは、そればっかりやっている人たちを聴いてください」「自分たちの音楽は、もっと音楽的に耳の肥えた人たちに聴いてもらいたい」とまで発言している。
だが、初期の活動においては、横山はあきらかに、本気で「昭和がマイ・ブーム」であったと思われ、それがあまりに成功してしまったゆえに、それによりつけられた「レッテル」に、次第に反発を覚えるようになったと思われる。