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01 君にいて欲しい

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02 空と雲のように

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03 僕の恋人~My Favorite Guitar~

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バンド名は、「赤信号を歩いて渡る。」つまり信号無視、また、危険地帯に足を踏み入れる事を意味する英語のスラング。
デビュー当時は、柳ジョージの弟分と目され、増田俊郎(柳への楽曲提供でも知られるシンガーソングライター)から多くの佳曲を提供されていたこともあって、ハードボイルドな作風を中心としており男性からの支持が多かったが、知久が積極的に詞を書き出した1990年以降は、私小説的な繊細で優しい作品が増えていき、これに伴い、ファンの構成比率も、女性が多数を占めるようになった。
「兄貴(柳ジョージ&レイニーウッド)よりも西寄り」と評されたり、デビュー前に作成したデモテープがデイブ・メイソン(元トラフィック)の「Give me reason why」のカバーだったりと、ウェストコースト・ロックの影響が強く感じられる音作りをしているが、各メンバー共通といえる音楽的バックボーンはあまり目立たない。その中で、全メンバーの共感を得、影響を与えた数少ないうちの一つがマーク・ノップラーによる、映画「ローカルヒーロー」のサウンドトラック盤である。
アカペラの技術も一流で、アルバム「終わりのない夏」の"Waltzing Matilda"をはじめ、「DOWN TOWN STORIES」、「REASON」、ライブアルバム「2HOURS & 7MINUTES」、シングル「もうひとりの自分を、君に今日会わせたい」でそれを窺い知る事が出来る。
1990年代、多くの日本人ミュージシャンが、アジア諸国で「初の日本人公演」を行ったが、「上海初」は彼らである。現在でも、韓国でレコードデビューするなど海外での人気も根強い。
中村は「日本語の発音が美しいボーカリスト」として、永六輔のラジオ番組で賞賛された事がある(そのあと永は「日本語で歌ってもなんだかよく分からない人が茅ヶ崎でライブするそうですけど…」とサザンオールスターズをくさした)。
中村は緊張しやすく、ステージで完全に歌詞を忘れたり、トーク中に何を話しているか分からなくなる事がままある。自身のラジオ番組のゲストに作家の椎名誠を招いた時、必要以上に緊張してしまい、ドラムの田切に助っ人を頼んだこともある。
知久のライブでのトークは1分で済む話題を5分、10分と引き伸ばす。話をどこへ落とすのか、話している本人ですら分からない事が多いらしいが、それでいて飽きさせないという独特の話芸である。
杉田はレコーディング・エンジニアとしての技術にも習熟しており、JAYWALKはレコーディングはもちろん、ミキシング、マスタリングまで、杉田を中心にプライベートスタジオで、自分たちだけで完成させてしまう。
中内はかつて、音楽活動と両立させながら青果会社に勤務しており、部下を持つほどのポストについていた。1992年に脱退して会社勤めに専念していたが、メンバーの度重なる説得に応じて、翌年バンドに復帰している。メンバーが中内の復帰を熱望したのは、朗らかな人柄の彼がいなくなったところステージが寂しくなってしまったため、またベースのパートを全部打ち込みで作らなければならなくなり、マニピュレーターでもある杉田が音を上げたため、であるといわれている。
SING LIKE TALKINGの佐藤竹善が以前音楽番組でJAYWALKと競演した際、中内脱退中にライブでJAYWALKのベースを弾いた話を披露した。中内もその場にいたが知久が「そのまま居座っちゃってれば今頃は…」と話しかけ笑いを誘った。
田切は、千葉市内でドラムスクールの講師も務めている。
1995年に田切が口ひげを剃り、その後中内がひげを伸ばし始めたため6人の中で唯一ひげを生やしていないメンバーが変わるという形になった(現在田切は久しぶりにひげを伸ばしている)。10人が在籍したバンドで、新加入の浅川を除き皆在籍中にひげを蓄えた経験を持つ。
元メンバーの中川は、加入前、大宮市(現さいたま市)の印刷工場に勤務していたが、彼が初めて参加したツアー(1998年)の大宮ソニックシティ公演には印刷会社の元同僚が2階最前列に集結。大盛り上がりとなった。
基本的にサポートメンバーは作品に入っておらず、編曲のクレジットも一貫して「JAYWALK」である。サポートメンバーが入った例は中川が加入した最初のアルバム「J'S BROTHERS BAND」およびツアーに参加したパーカッションの越智ブラザーズと、2007年のクリスマスライブツアーから参加した知久のギター仲間である当時弱冠23歳のギタリスト浅川昌輝の2回。「J-WALK」時代初期以来のツインギター体制となった。浅川昌輝は2008年5月のライブで正式メンバーになったことが発表された。
現在は麻布にプライベートスタジオを構えているが、それ以前は知久の自宅などで、一升瓶を持ってご近所伺いをしながらのレコーディングを続けていた。休業中の病院の手術室をレコーディングブースに使っていたこともある。
中村の風貌や一部の曲の曲調から「和製 Alabama」と称されることがある。

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