2002年10月 田渕の頭の中でバンドを作ろうと考え出す。「同じ年でバンド作ろうー。」日々のイメージトレーニングが始まる。
2002年12月 もし、バンド作るならドラムは彼がいい、と、昔から思っていた、高知出身の荒くれ者、同じ学年の、安岡秀樹に思い詰めて電話する。「いやー、一緒にバンドしないかなーと思って・・・。」(引き腰に押す)そして、toddleの原型ができる。
2003年2月 是非かわいこちゃんの女子をメンバーにしたいと思い詰めた田渕が、友達であり好みのタイプの同じ年、小林愛を誘う。そして3人に。
2003年5月 なんとか5曲作り、渋谷NESTにて初ライブを行う。その後も、都内を中心にライブ活動を続ける。
2004年6月 「ベース入れてやってみようか?」と、話が盛り上がり、福岡県筑後市出身の3つ年上江崎典利氏へ安岡が電話する。「ちょっとベース弾いてよ。」(強引に押す)そして4人でライブを行う。「ちょっと、今日、良かったよー。また弾いてよー。」3人は味をしめ、江崎典利氏をメンバーへと引きずり込む。
2005年 アルバムレコーディングへ向け動き出す。全員多忙の為、なかなかスタジオへ入れないが皆口々に「大丈夫、大丈夫、最高ー。」と心にもにもないことを無責任に口走る。
2005年7月 雲行きあやしい場面を乗り越え、1st album "I dedicate D chord" が完成。
2005年9月~ たくさんの人がアルバムを聴き、たくさんの人達がLIVEへ足を運ぶ(希望)
2005年9月21日 1st album "I dedicate D chord" 発売
2005年9月 アルバム発売後、LIVEツアーなど、本当にたくさんの人が、アルバムを聴きLIVEに足を運んでくれる。
2006年6月 ドラムの安岡秀樹より、故郷である高知へ引っ越すため、年内で脱退する意志を告げられる。「アルバムもう一枚作ってからにして!」と、年内にアルバム完成!の目標をかかげ、曲作りの日々がスタート。
2006年9月
~11月 全く進まない曲作りの中、「大丈夫、大丈夫」と、また心にもないことを無責任に口走りつつ、時間は過ぎる。
2006年12月 気づくと10曲が完成、レコーディングに突入。
2007年1月 Mix作業を終え、2nd album "dawn praise the world" が完成。やることをきっちり終え、安岡秀樹は高知へ。
2007年6月~ たくさんの人がアルバムを聴き、たくさんの人たちがLIVEへ足を運ぶ(希望)
2007年6月8日 2nd album "Dawn Praise the World" 発売