1990年代を代表するビジュアル系ロックバンド、LUNA SEAのヴォーカリストとして世に知られる。インディーズ時代は床に届くほどのロングヘアーを誇り、ライブでは第六のメンバーとしてファンを「SLAVE(奴隷)」と呼ぶなど、アンダーグラウンドなイメージを漂わせていた。
1997年のバンド活動休止に伴い本名でのソロ活動を開始。礼儀正しい振る舞いとナルシスティックなキャラクター、またバラエティー(主にとんねるず司会番組)やドラマでの活躍によりお茶の間の人気者になる。ソロでの大躍進の裏でバンド復帰をいぶかしむ声もあったが、12月にLUNA SEAとしての活動を再開。2000年12月の「終幕」まで、「より頼もしくなったバンドのフロントマン(LUNA SEAのベーシストJ談)」として活動する。
2005年、元LUNA SEAのINORANやH・HAYAMAとTourbillonを結成し、7月2日の日本武道館公演(Un Tourbillon)より活動を開始した。
多趣味として知られる。
サーフィンをしていた。そのためソロデビュー時は波に関する歌詞や編曲も見られたが、現在は「サーファー耳」という病気(冷たい水が耳の中に入ってくるのを防ごうと軟骨が肥大化し耳の穴をふさいでしまう病気)が進行し、これ以上続けると聞こえなくなる可能性があるため現在は控えている。手術による治療も可能だが、音楽活動を制限されてしまうため現在は治療する気はないという。
趣味でボクシングもやっており、自身のDVDでもシャドーする動画が見られる。元WBC世界スーパーフライ級王者の徳山昌守の防衛戦では、君が代も熱唱した。ちなみに、隆一の好きなボクサーはメキシコの英雄であるリカルド・ロペスである。(evergreen〜あなたの忘れ物届けたくて〜のツアーパンフレットより)
フェラーリ288GTOを所有するなど自動車マニアとしても知られ、自身のレースチームも持つ。土屋圭市と親交があるほか清水草一とトークショーを開くなど、業界人との交流も深い。また国内A級ライセンス取得を目指しており、サーキットを走行するほか公式レースにも参戦している。ドリフトにも注目しており、フェラーリでドリフトする為に練習用に購入したスカイラインを左ハンドルに改造するなどしており、実績も2005年7月には愛車のS14シルビアでドリフトイベントに参戦。タレントでありレーシングドライバーでもあるヒロミと対戦し、勝利した。尚、2000年にHEY!HEY!HEY!にLUNA SEAとして出場した際、自家用車はフェラーリ2台、ベンツ2台(Cクラスとゲレンデヴァーゲン)、フィアットを所持していると語っていた。
関連して2007年のF1日本GPでは君が代独唱を担当した
ゴルフは自身が影響を受けたと公言する「西城秀樹」から教えてもらった。プロアマチャリティーゴルフなどに出場している。
2006年1月23日、2002年ミス日本グランプリの佐野公美と結婚したことがスポーツ報知により明らかになった。
2009年6月18日午後3時6分に第1子となる男児(3298グラム)が誕生
2009年7月29日にエイベックス移籍を発表する。